12月に、つかこうへいさん原作の『蒲田行進曲』の舞台に出演することになりました。
しかも主演、銀ちゃん役です。
あ、こちらから予約できます。
※後でまた詳しく記述しますが、この作品には暴力的な表現、差別的な表現がございます。
さて、ご存知でしょうか『蒲田行進曲』
一番有名なのはやはり深作欣二監督の映画版でしょうが、元々は舞台作品でして、映画のヒットにとどまらず小説としても発表され、ドラマ化も何度かされ、舞台でもその時その時で(ときに大筋まで)変更を加えながら再演され続けたつかさんの代表作の一つです。
ご存じでない方のためにこの作品のあらすじをざっと説明しますと……。
破天荒なスター俳優・銀ちゃんが自分の子飼いの大部屋俳優(当時は撮影所付きの俳優で、端役やその他大勢的な役を演じる人たちがそう呼ばれていたのです。スタントマン的な働きをしている方も多くいました)であるヤスに自分の子供を身籠った恋人・小夏を押し付け無理やり結婚させようとする……というところから話は始まります。
……この時点ですでに理不尽極まりないんですが。
そんな傍若無人な銀ちゃんも、スターとはいえ実は人気の陰りを感じており、小夏を押しつけたのもスキャンダルを避けるため。
そんな状況を打破すべく、銀ちゃんはなんとか主演映画で一発あてようと足掻きます。
過去には死者も出ているという危険なシーン「階段落ち」を映画の中に入れられないかと画策しますが、死ぬかもしれないアクションをやってくれる斬られ役がいない。
そこで、銀ちゃんはヤスを指名します。
俺の映画のために斬られて階段から転がり落ちてくれ、と。
ヤスはもちろん、受け入れます。
すべては銀ちゃんを輝かせるために……。
という。
まあ、もう、すべてがめちゃくちゃな話です。
とにかくこのあらすじだけでわかる通り、銀ちゃんというのは理不尽と傍若無人の権化のような人間です。
作品通してずっと、ヤスを含めた配下の大部屋連中を殴るわ蹴るわ罵倒するわ、やりたい放題です。
そのくせ酒を飲んじゃ泣いてくだを巻き、好みの女を見れば恋人がいても目の色変える。
書いててちょっと、本当にどうなんだという気がしてくるぐらいにめちゃくちゃな人です。
しかもこれ映画版に寄せたあらすじを話してますが、映画版ではかなりマイルドになっている方で。
元々は舞台が先なのですが、その後何度も再演されているどの舞台版においても、銀ちゃんを始めとする登場人物たちの暴力は凄まじく、その発言も目を剝くようなひどいことばっかり言ってます。
そんな作品のどこがおもしろいんだ、と言われれば……。
まさしくそこが面白いんじゃないかな、と私は思っているわけです。
そう、なぜそんなものが面白いのか、ということなんですよ。
なぜ、人が階段から転げ落ちるのをわざわざ芝居にするのか。
なぜ、人を殴る蹴るして声を荒らげ、啖呵を切って理不尽をぶつける傍若無人な人物を登場させるのか。
なぜ、そんなものを面白がるのか。
それが「虚構」だからだと、私は思うんです。
私は、暴力が嫌いです。
自分が振るわれるのも、振るうのも、およそ生活の中で暴力とは距離を置きたいと思っています。
例えば反社会的勢力や、犯罪行為や、そういったものも同様です。人を罵倒するのもされるのも、気分が良くないので避けたいです。
でも『オールド・ボーイ』や『ファイト・クラブ』や『バトルロワイアル』の暴力性に圧倒され、『青い春』観てクラクラやられ、『ファーゴ』は映画もドラマもすべて観て大好きになったり、舞台の本番前に『セッション』を観てテンション上げていたこともありますし、『パルプ・フィクション』だって『レザボア・ドッグス』だって何度観ても面白いわけです、
暴力的だったり過激だったり犯罪を扱ったりしているそれらの作品をなぜわざわざ好んで観るのか。
それらがすべてちゃんと「虚構」だからなんです。
中には事実を基にしているものもありはしますが、それでも、目の前でその行為が繰り広げられていたらそんな風に楽しめるわけがなく、演技と演出と技術によってつくられ、編集され、パッケージングされた虚構だから、現実では味わえないような(味わいたくもないような)心の動かされ方を面白いと思えるんじゃないでしょうか。
そう、それら虚構を通じて何を求めているかといえば、私は、現実では有り得ない、自分の生活の中には有り得ないような心の動きを求めているのです。
スリル、興奮、恐怖、命の危機、怒り、争い、闘争、切なさ、憧れ……などなど。
そういったものを求めています。
そういった非日常を。
しかし「非日常」ですから、それらを求めながらちゃんとすべては虚構であって欲しいとも思っています。
「極端な非日常」は虚構だからこそ楽しめるものだからです。
理不尽な暴力も、目をむくような言葉の応酬も、狂っているとすら思える極端な思想も、乗り越えられるかわからない試練も、日常にはあって欲しくない。
だからこそ虚構として、舞台の上で、スクリーンや画面の中で、紙面の上で、頭の中で、極端な非日常としてそれらを眺めて楽しみたい。スリルや恐怖や興奮を疑似体験して心を揺さぶられたい。
つまりはそういうことなのです。
そして私がつかこうへいさんの作品に求めるのも、つかさんの戯曲を面白いと思うのも、まさしくその部分なのです。
『蒲田行進曲』をはじめとする、過激で、極端で、目を剝くような凄まじい非常識。
日常生活では到底受け入れられるものではないのですが、それら非常識から生じる大きなパワーやドラマ、スレスレのスリル、滅茶苦茶な世界観……すべてが渦巻くカオスのなかで描かれる「非日常」が面白いと思うのです。だからこの作品をやりたいのです。
しかし同時に、観客がそれを面白がるためには、それらはすべて「安全」な「虚構」でなくてはいけないということも、強く思っています。
舞台上では、物語の中では、罵倒し、殴り、蹴り、振り回しながら、それらはすべて「お芝居」で、本当に俳優同士が傷つけ合うようなことはあってはならない。そう思うのです。
例えば人を殴る芝居で、人を本当に本気で殴って怪我をさせてしまったら、それはリアルな演出ではないのです。ただの暴行現場の目撃になってしまうのです。
サスペンスドラマを見ていて、死体役の人が本当にその場で殺されていたら、トリックを考えるどころではなくなるでしょう。
街が破壊されるスーパーヒーロ―モノで、本当に街並みが爆破されて人々が下敷きになって死んでいたり傷ついていたら、もうそんな作品は観たくもなくなるはずです。
リアルとは何か、ということはフィクションを作ることに関わっている人ならば誰もが一度は考え、それぞれに意見を持っていることでしょうが、私は「リアル」と「本物である」ことは別だと考えています。
作品それぞれの真実味やリアルさは目指すべきですが、本物を絶対に目指す必要はないはずだと、思っています。
安心して作品世界を楽しめるのはそれらがすべて虚構だとわかっているから、という考えだからです。
虚構だからこそ無責任に、現実の生活では体験しえないような心の動きを味わえるのです。
だからこそ、「虚構」であることをきちんと守って、制作陣が傷つけあうことなく、安全にリアルさを目指さなければいけない。非常識を繰り広げなければいけない。
それが虚構の醍醐味だと考えています。
そしてこの、安全、ということに関しては、制作過程のみならず、観劇に際しても同様だと思っています。
そのため、以下のようなアナウンスを改めてさせていただきます。
『蒲田行進曲』の作中には暴力的、差別的な表現があります。人を殴り、罵り、足蹴にし、声を荒らげるシーンが出て来ます。
もちろんそればかりではないんですが、確実に、そういうシーンは出て来ます。
しかしそれらを、今回は無理やりマイルドにするのではなく、なるべくつか作品特有の「極端な非日常」を大事にしながら、そこで生じる大きなドラマや有り得ない心の動きを見せる方向で作品を作りたいと思っています。
(私個人はそうです、座組全体としては公式のアナウンスの通りです)
この作品は、速度もスリルも、まさしくジェットコースターのような作品だと思っています。稽古を進めるにつれその感は強まってきました。
ジェットコースターは決められたコースを絶対安全に進むとわかっているからこそ、凄まじい速度やありえない軌道のスリルを楽しめるアトラクションです。
本作の観劇も同様のアトラクションだと思ってはいますが、「極端さ」や「過激さ」が面白さとしてある以上、そこに事故は起きうるのです。
物語に触れたとき、普段は起き得ないような心の動きを楽しんでいたのに、描かれているものがこちら側に飛び出してきて、思いもよらぬ傷つき方をしてしまうということは、しばしば、あります。
意図的にそのような効果を狙ったものもあるにはありますが、あくまで観客が「虚構」としてそれを容認できる枠を出てほしくはないな、と私は思っています。
そしてそれらは事前に心の準備ができるだけでもずいぶん避けられることではないかと思うのです。
ですので、心の準備ができていないと傷つくこともありますよ、と。
そういうおそれがあるので不安な方はよくよくお考えになってください、と。
そう案内をかかげることで、あらかじめ避けられる事故を防ぎたい、という思いからの上記の案内です。
ですから少なくともこの長ったらしい私の文章を読んでくださっている人だけでも(いますか? もう少しで終わります)、事前に「暴力的な表現」や「差別的な表現」があるぞ、ということを踏まえて、観るとか観ないとか、そもそもそんな表現の有無にかかわらず観ないよとか、決めていただけたらと思っています。
そして「気になるけど……不安もある」という方は、今回は控えてもらっても良いのです。
もちろん我々はなるべく傷つかないように殴り合い、蹴り合い、罵倒しあい、安全を取れるように練習してそれらに挑みますが、激しいボディコンタクトや怒鳴り声を目の当たりにして何らかの記憶がフラッシュバックしてしまったり、現在の精神状態では受け入れられないという方も。
体調が悪い時にジェットコースターに乗る人はいないのと同じように、今回は控える、という選択肢はあってしかるべきなのです。
大事なのは自分の調子のほうです。
だらだら長ったらしく書き連ねましたが、上記のことを踏まえたうえで、私はつかさんが描こうとした「極端な非日常」を、ちゃんと虚構としてやり切りたいと思っています。
きちんと、虚構をやり遂げたいと思っています。
奇しくもそれは、この『蒲田行進曲』のテーマとつながる思想でもあると思うのです。
現実ではない、虚構の世界。
だからこそ、なんでもできる。
だからこそ、奇跡が起きる。
虚構だからこそ、不幸も試練もひっくるめてカーテンコールで笑顔が見せられる。
私はそう思っています。
そしてそういうことを描いている作品だと思っています。『蒲田行進曲』は。
どうかどうか、それを踏まえて、それでも観たいよと言ってくださったなら、こんなに幸せなことはありません。
……というわけで公演詳細です。
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