アナタサヨナラテポンポン

古屋敷悠と森宇悠の暫定的ブログです。

2025年はこんな年でした、年男でした

 も は や 2026年でございます。

 

 明けましたので、おめでとうございます。

 例年通りの遅すぎるごあいさつで恐縮です。

 

 昨年2025年も、さまざまな俳優業のお仕事をさせていただけました。ありがたいことです。

 六つの舞台、三つの朗読作品、一つの映像作品、一つの内緒な仕事、をやらせていただけました。一昨年に続き、忙しい一年を送らせていただきました。
 が、まだバイトは辞められませんでした。おしい!

 

 ともあれ、本当にいろいろな経験をさせてもらえたので、書ける範囲でつらつらと振り返っていきます。

 

 


【 アガリスクエンターテイメント『二十歳の集い』内『Go As Operation!』 】

 

 

 

 2025年は1月の三が日から舞台に立ってました。

 旧知の劇団アガリスクさんにお声がけいただいて、20周年の皮きりの公演でゲスト出演させていただきました。


 私を特別出演させることに定評のあるアガリスク。今回もゲスト出演。
 ……通常公演の通常出演はいつになるんですか!?
 次の20周年とかですかね。その時はナイゲン(グループホーム版)やりましょう。

 

 『Go as Operation!』はレンタルビデオ屋(半死語)を舞台にした恋のさや当てワンシチュエーションコメディだったのですが、私はそこに登場するビデオ屋の店長(半死語)という役柄で、唐突に現れては場を掻きまわして去っていく、というゲストらしいゲストでした。

 稽古は一日だけでして、自分しか使わない小道具などまで準備しまくって行ったら共演者やほかのゲストに若干引かれつつも、最終的にはなんとかウケたのでよかったよかった。
 偏執的なまでに映画好きな店長、というある意味ドストレートなやり方でかき回してまいりました。

 

 劇場は奇しくも江古田ストアハウス。

 上野の地で芝居初め、なんか縁起良いですね。

 

 


【 『学芸員 鎌目志万とダ・ヴィンチ・ノート』 】

 1月から2月にかけて、なんと言っても昨年の大きな出来事の一つがこの舞台公演でした。

 小林賢太郎さんの四年ぶりの新作公演。

 1000人を超えるオーディション応募者の中から、なぜかひょっこりすくい上げていただいて、わけもわからぬうちにコント公演までオファーされて、ちょっとパニックになりつつ、稽古に突入していました。

 
 そう、後述のコント公演に、この時すでにオファーされていたのですね。

 正確にはこの「鎌目志万」のビジュアル撮影の時に声掛けされてまして……。

 おかげさまで「この公演(鎌目志万)絶対に俺ぁ失敗できねえぜ……?」と一人ひそかに崖っぷちの気持ちでおりました。芳しい動きができなくて「コント公演はやっぱもうちょっと先にしようか……?」って言われるかな、と。

 ……いやー、本当に呼ばれてよかったです「イミノウム」

 

 「鎌目志万」自体はとてもストレートかつポップでそしてクレバー、もちろんコメディとしても楽しめるおしゃれな作品で、ここに関われたことはとてもとても嬉しく楽しかったです。

 

 カンパニーの皆さんもなんか不思議な一体感あって、稽古場も含めてスタッフもキャストもみんなが自分の仕事に注力している素敵な現場でした。


 私は羅山さんという、劇中唯一の悪役をやらせてもらったんですが(人に説明する時は「101匹ワンちゃんのクルエラみたいな役」と言ってました)、こういうよくわかんない変なおじさんの役、昔からやりたかったんで楽しかったです。高笑いとスモークのおじさん。

 またこういう役、やりたいですね。

 高笑いとスモークの役、お待ちしています。

 

 観に来てくれた知人や昔から私のことを見てくれていたお客さんたちが、この出演をわがことのように喜んでくれていたのも嬉しかったです。

 思えば遠くへ来たもんだ……と2025年は何度か思うことになるんですが、こんなに大きな舞台でこんなことをやらせてもらえたのは、間違いなくそんな皆様のおかげです。

 おかげで遠くまでとぼとぼ歩いてこれました。

 本当にありがとうございました。

 

 だからってわけじゃないんでしょうが、2025年はよく昔の夢を見る年でもありました。劇団時代の夢とか、昔出た芝居の共演者たちとか。

 走馬灯みたいで、一時期「俺、死ぬのか……?」と思ってました。

 

 本作の開演前はマイケル・ジャクソンの「Dangerous」と電気グルーヴの「エンジのソファー」と村下孝蔵の「夢のつづき」を聞いてました。
 「夢のつづき」のサビの合いの手の感じが、僕の中ですごく羅山和夫なんですよ、なんか。
 

 

 

 

【 大沢在昌『ザ・ジョーカー』『亡命者 ザ・ジョーカー』 】

 

 

 オーディブルの仕事ですね。

 

 言わずと知れたハードボイルドの名手、大沢在昌さんの作品をナレーション担当させていただきました。

 

 ジョーカーといわれる都会のなんでも屋が六本木のバーを拠点にバイオレンスな事件に巻き込まれたり首を突っ込んだりしていくという短編集です。

 ちょうどこの時期仕事で港区辺りをウロウロすることが多く、この街のどこかにジョーカーがいるのか……と面白く思っておりました。

 

 大沢さんのハードボイルドの世界に入っていけるのも楽しかったですし、私はAudible作品、今まで海外翻訳物しかやってこなかったんで、国内作家の作品に関われたのがとてもとても嬉しかったです。

 

 海外翻訳ものはなんとなく吹替作品のイメージで読みますが、国内作品はそこでは出せないようなちょっとしみったれてたり人間くさかったり訛ってたりする読み方ができてまた違った楽しさがあります。今後もどちらもやっていきたいっすね。

 お仕事お待ちしております。

 

 主人公ジョーカーの一人称で進む小説なのですが、私の中で「Death Stranding」の主人公サムがイメージに近くて、その雰囲気を核にしてやってみたところ、クライアントの方に「津田健次郎さんみたいな雰囲気で良いですね」と言われたのが地味に嬉しかったです。

 


【 『人狼TLPTO Ⅵ CRUISE』 】

 

 「鎌目志万出演メンバーの内、小劇場に最速で戻るのは俺だ!」とか言ってたらマジでそうでやんの。

 

 というわけで、もう三度目になりました人狼TLPTOでした。五月ごろですかね。

 

 方々で公に話しているんですが、私はこのジャンル(人狼TLPT)が今までやって来た演劇作品の中で一番疲れると思ってるんですけど、どうですか?(共演者各位)

 

 人狼ゲームのルールに則って進むアドリブ劇、という特殊な作品でして。

 

 設定や役は固定で決まっているのですが、話の筋書き自体はすべてアドリブ。
 本当の人狼ゲームよろしく開演の数十分前にカードを引いて誰が人狼かなどを決め、それが互いに知らされることは無く、打ち合わせなど一切なしで本当に推理したりバレないように嘘をついたりしながら演技と議論を重ね、投票して処刑して……というのを決着がつくまで続けるというかなりハードな演劇作品です。
 
 いつもは村人に紛れ込んだ人狼を探すという形なんですが、今回は嵐で座礁した豪華客船が舞台、ということで、いわゆるクローズドサークルモノのミステリよろしく、犯人捜しをする面白いシチュエーションでした。

 

 私はファンタジー色強めなものよりこういうちょっと地に足の着いたミステリっぽいシチュエーションの方が好きなので、この豪華客船の設定は面白かったです。
 ただ、副船長、という職業を振られた関係で、中心になって色々やらなきゃいけない瞬間が多くて、大汗かいていつも議論を回してました……。

 慣れてきたと思ったら、すぐに課題を与えてくるぜ、人狼TLPTO……!

 

 そんなわけでとてつもなくハイカロリーな演劇作品なので(この辺のことはいつか何かで詳しく書きたい)公演終わりはいつもげっそりしながら「もう、ちょっと……出たくないな……」と思うんですが、気がつくとオファーを受けてしまっているという不思議な作品です……。座組の皆さんがね、本当に気持ちのいい人たちなんですよ。

 

 副船長の制服が似合いすぎてビジュアル撮影で笑いが起きていたのも良い思い出でした。

 開演前は四人囃子の「一触即発」を聞いてました。嵐の中の難破船っぽい曲なので。

 

 


【 奥田英朗『リバー』 】

 またもやAudible。さらにまた国内作家の作品ということで、これも嬉しかったです。

 

 しかも奥田英朗さん。

 

 長野の片田舎で暮らしていた少年時代、たまに長期休みになると東京に住んでいた父の家に遊びにいくのですが、その時に地元ではなかなか無いような大型書店に連れて行ってもらえるのが嬉しかったんですね。

 奥田英朗さんの「東京物語」はそんな中で買って読んだ作品の一つで、それを東京で手に入れたということと、その話の内容もあいまって、「いつか東京で一人暮らししてえなあ」と漠然と願う少年になったんですよ、私は。

 

 その奥田英朗さんの作品に仕事で関われるというのは、本当にこの仕事やってきて良かったなあと思えた瞬間でした。

 

 が、蓋を開けてみると、なんと登場人物総勢100人を超えるサスペンスというとてつもなく大変な作品。

 

 群馬と栃木の県境を流れる川で死体が発見され、それがどうやら10年前に起きた未解決事件と同じ犯人かもしれない……というのが作品のあらすじで。

 リアルな捜査会議シーンが続き、地道な捜査の描写と市井の人々の視点が入り混じるため、今までになく長丁場かつ膨大な登場人物数の作品となりました。

 

 総尺は20時間を超え、登場人物の喋り方と声色の特徴はもういつものようにメモ書きでは管理できず、場面ごとの登場人物表までエクセルで作り……。

 エクセルを後で確認したところ、台詞を喋っている人の数は総勢158人でした。

 スタッフさんから「この登場人物の多さは、もう古屋敷さんに頼もうと思って声をかけました」と言われたのは光栄でしたが、それにしたって……と冷汗かきつつ、とても楽しく158人演じ分けました。

 

 つくづく声の仕事は奥が深いと、やるたびに思います。次はどんな挑戦になるのか楽しみにしております。

 

 おかげさまで「ザ・ジョーカー」シリーズと並んで好評なようで、嬉しい作品です。

 

 

【 日本のラジオ『シホウドウセキ』 】

 

 そして上記の『リバー』の収録と並行して稽古していたのがこの『シホウドウセキ』でした。
 
 関東最悪の暴力団の抗争を終結させるため、マル暴刑事たちが間に入って手打ちのための非公式な会議を(なぜか)民間のパチンコ会社の持ちビルですることになり(なぜか)そこに政治家秘書がお目付け役でいたりする……というノワール会議劇です。

 

 私はマル暴の熱血正義漢という役でして、近年には珍しく、脳筋系の若手枠でした。無責任で威厳のない役をやるのが久しぶりで、楽しかったです。

 
 『リバー』でひたすら刑事の会議を朗読したあとに稽古行ってマル暴として会議モノやる、という日々で、だいぶ脳が混乱しましたね。

 

 でもとにかく楽しい稽古場と本番で、あんまりこういう楽しいばかりの現場というのもないもんで、貴重でした。

 

 開演前はアルファの『エクスタシー温泉』を聞いていました。インモラルさとたたみかけ具合とショウアップのされ方がこの会議っぽかったので。

 

 この「シホウドウセキ」で共演していた逆鬼役の笹井雄吾さんが去年末に突然、逝去されまして。
 唐突なことだったので年末に訃報を知ってしばらくはちょっとぼうっとしてしまいました。というかまだ、ちょっと折々ぼうっとします。
 私は笹井さんと絡むシーンはそこまで多くなかったのですが、笹井さんの稽古場でのにこやかでジェントルな振る舞いや、お互いMCUを始めとしたヒーローものやアクション映画好きでその話をポツポツしたなぁという記憶や、うまく言えないんですがそういう時の笹井さんの声がすごく印象に残っているんですね。
 「ファンタスティック・フォー」の結末について持論を展開してくれていたけど、私はまだみてないので、しっかり見て確かめようと思ってます。あと「バーバリアン」と「コンサルタント2」ね、観ますよ。観ます。寂しいっすね。

 

 


【 シアター・コントロニカ コント公演『イミノウム』 】

 

 

 いやー大変でした。

 そりゃ大変なことなんですよ。そりゃあね、そりゃそうなんですよ。

 あの小林賢太郎の作品、しかもホームグラウンドのコントに、たった五人の出演者のうちの一人として出演する、というのは。

 同じく小林さんの「カジャラ」シリーズを何も知らずに見かけていた頃、「うわあ、たった5、6人だけでコントだけをひっさげて日本中を巡るのか……すごいなあ、格好いいな……」と思ってたら同じところに私も加わることになったわけです。

 思えば遠くへ来たもんだ……。

 

 そして予想通り、いや予想以上に大変でした。

 この公演のために色々準備して、体調も整え、覚悟を持って挑みましたが、それでも。

 私はコント畑の人間ではないのですが、それでも笑いを目的としたコメディ作品は何作も出ていますし、そのいくつかでは自分が笑いのキーポイントを担っていたという自負もありました。

 

 しかし、

 

 そんなものは、

 

 もう、

 

 全然……意味がなかった……!

 

 太刀打ちができない……! と稽古中震えることたびたび。

 他の四人の共演者の達者さ面白さに打ちひしがれることもたびたび。

 それでもなんとかもがいて探って食らいつく日々で。

 でもそんな稽古の最中に、共演の諸先輩方も、そして賢太郎さんも口をそろえて「(正解は)お客さんが教えてくれるから」と言っていて、私はもうそこへ向けて泳ぎ続けるしかなかったんですが……幕が開いて見ればまさしくそのとおりの景色がありました。

 

 お客様の反応、笑い声のおかげで様々なことが分かったし、報われて、ああこういうことかと理解できる瞬間の連続。お客様と対話しながら演技するというのはとっても新鮮で、まさしく道が開けていく感覚がありました。

 

 コントとは、笑いとは、かくも奥深く、そして険しい道のりで、笑いの渦の中に居られるということは無二の喜びなんだと知ることができました。

 

 とにかくこの稽古から本番までの数か月間は筆舌に尽くせないほど濃密な時間すぎて、まだ公演終了から一か月ちょっとしか経っていないのになんだか遠い昔のことのようです。

 また行きたいなあ。

 

 旅好きな私としては、横浜や京都をうろうろできたのも楽しかったし、ほぼ初めての土地である名古屋と、初めましての仙台に行けたのもありがたく得難い体験になりました。

 ちょっと街歩きが楽しすぎて一日2万歩とか歩いていた日もあったので、さすがに共演陣からも「歩きすぎだよ」と指摘されたりしました。やや反省。

 

 こんな風に濃密で特別な時間にまた出会えるように、来年もまたがんばろう、と思った2025年の年の瀬でした……。


 
 開演前はSOIL&”PIMP”SESSIONSfeat.RHYMESTER「ジャズィ・カンヴァセイション」とスカートfeat.村上基「地下鉄の揺れるリズムで」とSixTONES「こっから」を聞いてました。
 変幻自在の勝負とお祭りとド根性。終わってみればそれが全てだったように思える公演でした。

 

 


【 『人狼TLPTO サテライト Village』 】

 「イミノウム」の振り返りで「2025年の年の瀬でした……」とか言っておいて、全然「イミノウム」が最後の仕事ではなかったですね。再びの人狼TLPTO。

 12月14日までイミノウムの本番やって翌日仙台から東京戻ってきて、12月26日からこっちの本番で28日の千穐楽まで休みなく走り抜けました。

 よくもってくれたな、体。

 

 しかも30、31日と家の大掃除までやりましたからね? 偉すぎません?

 ただその反動か、さすがに年明けしばらくは廃人のように呆けておりました。

 

 久しぶりに思える村を舞台にした公演でしたが、いちおう「サテライト」ということで番外公演の位置づけでした。

 私も久しぶりに時計屋ロドリックに戻り、副船長の時にはできなかった嫌味な奴をやろうと思っていましたが……オープニングの役回りが役回りでしたので、ちょっと嫌な成分はなりを潜めた感じになりました。

 

 私がオープニングでやった役はⅤの公演で運び屋ギルこと山咲和也さんが担っていたポジションだったのですがあのポジションをやりながらあんなに自由にいろいろなギルを演じていた山咲さんは本当にすげえんだな、というのをひしひし感じました。

 
 早くカムバックしてくれ、ギル……!

 

 前述の通り休みなしで突っ走った最後の最後が一番ハイカロリーな演劇作品で、本当に脳がパンクするかと思いながらも、千穐楽まで辿り着けました。共演者とスタッフの皆様のおかげです。死ぬかと思った。

 個人的には舞台上で初めて”人狼として”演技をする機会があったのが印象的でした。

 エンディングではなかったのですがラストウルフとして芝居をする必要がある局面だったんですね。

 いやーこんなことも起きるんですね。奥が深い、TLPT。

 2025年最後に良い経験ができました。

 

 

 

 

 というわけで。

 

 ここに書き切れない仕事や、書くのはちょっと興を削ぐことになりそうなお仕事なんかもあって、すべてではないんですが2025年はこのようにして過ごしました。

 

 今までにないぐらい濃密な一年だったような……終わってみればあっという間だったような……。

 もちろんこの振り返りでは語りつくせない色々はあるんですが、それでもなんとかこの一年が無事に終わり、この一年のうちに選んでいただけた仕事を怠りなく終えることができ、支えてくれたり助けてくださった皆々様に感謝しております。

 

 毎度毎度、そして年々思うんですが、人間、ひとりで出来ることなんて限られてるなあと。

 我々俳優の仕事は特にそうです。

 演じる以外の部分を誰かが受け持ってくれる、共演者がいる、観に来てくれるお客様がいる。

 人々のおかげでなんとかかんとか木っ端役者ながら、次へ次へと進んで行けております。

 

 私はもう本当にずっと前から、いつが最後の仕事になるかわからないと思いながら俳優を続けております。

 ひとつもオファーが来なくなったら、出演の約束がなくなったら、その時が辞め時だろうな……と思ってるんですけど。ありがたいことに誰かが声をかけてくれます。

 

 好きな言葉に「早く行きたいのならひとりで行け、遠くへ行きたいのなら誰かと行け」という言葉があって。

 

 若い時は早く売れたい、早く大きな仕事をしたい、と思っていて、そのためならひとりになったって構わない、ひとりでもやり抜いてやる、と思ってたんですが、私はどうやら誰かのためじゃないとあんまりがんばれない人間なのかもって気がついてから、凄く楽になりました。

 誰かと一緒に行くから、遠くまで行ける。連れて行ってもらえる。

 しみじみそう思って生きた2025年でした。

 

 2026年も、誰かと、皆様と、一緒に遠くの景色を見に行けたらいいなと思っております。

 

 そのためにまずは一番近い一歩を踏み出して。

 

 今年もよろしくお願いします。

 

(最後に年末or新年らしい写真を載せようとしたんですが、まったく自撮りなどをしていなかったのでそれらしきものは全然ありませんでした。各々の脳内で新年らしい古屋敷が感謝の意を皆様にお伝えしている画像を思い浮かべてください)

 

 

 

 

 

風呂敷をひらいて2

 やった! はやくも二回目だ!

 ということで今週も風呂敷をひらこうと思います。

 

 

【増村十七「バクちゃん」を読み、高野秀行「移民の宴」を読むなどした方が良い。】

 

 これはまあ、昨今の、特に参議院選での外国人排斥的な流れを受けての言葉なんですが。

 「バクちゃん」というのは地球に移住してきた異星人バクちゃん(可愛い)が悪戦苦闘しながら地球の、しかも日本の、おそらく東京で暮らそうとする話で。

 異星人、というとっつきやすいフィクションの装いをしてくれているんですが、つまるところは移住者の話なんですよね。異星人コミュニティがあったり、在留資格の話があったり、二世の話が出て来たり。

 

 そんで「移民の宴」は言わずと知れた世界放浪者というか旅行者というかの高野秀行が日本を舞台に著したルポ?インタビュー?集でして。在日外国人の「食事」にフォーカスを当てた本です。

 

 どちらの本でも描かれているのは「それぞれの事情がある」というところでして。

 自分が、特に都会で暮らすようになってから目の当たりにする外国人の、見て来たのに見えていなかったものがそこにはあるんすよ。

 昨今の外国人排斥の話にはその視点が抜け落ちている気がするよなあと思ってます。

 

 たとえば人種ひとつとっても、中国人とベトナム人とタイ人だったら、来歴と起こすトラブルの内容はそれぞれ違うし、解決方法も異なるわけじゃないですか。

 それを一緒くたに解決することってできるんですかね?

 できないと思うし、してしまったらそれは恐ろしく乱暴な解決だと思うんですよ。

 

 日本人の問題ですら、そうでしょう?

 我々が抱えている問題だって、障害だって、本当は一緒くたにしないで個々の事情に即して解決してもらわないと困るのに、それが自分から離れたところにいってしまうとわかんなくなってしまうんだよなあと、人間の性なんでしょうけど、腕組みして考えちゃいますね。

 

 まあそういうこととは関係なく、どちらの本も普通に漫画として読み物として面白いのおすすめです。

 

 にしても、これほど人間が容易に移動できる時代が到来して、民族や人種が混ざっていかないわけがないと思っているので、今はその過渡期なんだろうな、と思っています。

 数十年後ぐらいの歴史の授業では何と書かれるんだろう。

 

 

【この年になってくると、つくづく大人の欲望というのは、子供≒少年の頃にやりたいけどやれなかったこと/やったら楽しかったことのどちらかまたは組み合わせそして発展形で出来ていることよなあ、と思う。】

 
 
 
 
 
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 自宅で、休日の朝なんかはしばしばパンケーキを焼いて家族と食すのですが。

 ホットプレートを利用してね。

 そういえば自分の子供の頃、休日の朝はクレープやらホットケーキやらよく作ってもらったり作ったりしたよなあ、と思いつつ、あれはなんでだったのか最近ようやく理解しました。

 

 めちゃめちゃ楽だし、食った気になるし、なんか料理した気にもなるから。

 

 家庭内で食事をするときに簡単に済ませすぎると変な罪悪感が湧いてしまうんですよね。

 その罪悪感をほど良く打ち消しつつ、満足度が高いのが、このホットプレート料理なんですよね。

 

 そんで、先日は暴走して、ホイップクリームやらチョコソースやらも持ち出して、好き放題やったのです。

 

 やりながら、これを望んでいるのは大人の自分ではないよなあ、というところに思い至ったわけです。

 

 言うなれば、焼き肉食べ放題をしているときにも、回転寿司でひたすら寿司を取っているときにも、休日一日中ゲームをやっているときにも、自転車で数十キロを走っているときにも、それを望んでいるのは今の、私の、中年の古屋敷悠ではないんですよね。

 

 少年の頃の私が、当時できなかったことを時間を超えて叶えているんだなあ、とこの年齢になって気がつきました。

 インナーチャイルドの昇華というか、供養でしょうか。

 もちろんそれだけじゃないんだけど、でも行為の動機の大部分がそれだなあ、と思っております。

 これが良いことなのか悪いことなのかはわかりません。

 行為とによっては、業だなあ、と思わないこともありません。

 

 でもまあ、そういうもんなんだろうなあ、人生。

 と最近思うようになってきました。

 

 


f:id:fullyashiki:20250711193828j:image

 

 写真は、先日街を歩いていて見かけた、一見するとヤバイように見えてよくよく読むとむしろ地域のふれあいを大事にしている昔ながらの自治体の宣伝なのがわかる看板です。

 

 はりきりすぎて気遣いが空回っている点が、自分の人付き合いと通じるな……と勝手に思いました。

風呂敷をひらいて1

 なんのこっちゃない、つまりは一週間の振り返りをしようという企画なのです。

 

 この「風呂敷をひらいて」というのは。

 

 最近、SNSにおける短文投稿と断片的な文章形成に飽きてきた、というか、ほぼ倦みきってきたと言ってもいいぐらいでして。

 何を書こうにも少ない文字数で文脈を読み取れるような意見におさめなくてはいけないという嫌な癖がつき始めているのを自覚してさらに嫌になるというのを繰り返しているんですよ。

 いや、それはそれとして短文式SNSを運用していく以上は仕方のない仕様ではあるのはわかっているので、まあやっていくしかないんですが。

 それを逆に、短文から長文へとひらけないかと思ったわけなんすよ。

 

 というわけで、一週間、と冒頭に書きはしたけど、特に期間の定めなく不定期に、自分がSNSで発信した短文を種にそこから話を少しばかり文章を育てていこうという企画です。

 

 ナンバリングをしたのはブログ不精を半ば強制的に改められないかという強硬策です。二桁まで続いたら喝采もんですよ。

 

 


【若い時の三宅裕司さんは若い時の藤井隆さんに似ている。】

https://x.com/fullyashiki/status/1941131368282620217

 なんで急にこんな話をしたのかというと、伊丹十三監督の「スーパーの女」を観たので。

 小さい頃に観て一番印象に残っていた伊丹十三作品はこれだったんだけど、大人になって観返してみると私はこの娯楽に振り切った作品があまり好きではないかもなあ、と思ってしまった。

 みんなが親しみあるのにそこまで詳しく知らないスーパーの裏側というのは面白いし、本当に小売業というのは勤勉な人たちのおかげでもっているよなあ、とわが身に照らし合わせながら振り返ったり、そこそこ面白いのだけど、伊丹十三じゃなくても、誰か別の人が撮ってもこういう話になるんじゃないかという気がしてしまった。そこが期待外れでした。

 

 で、三宅裕司さん。

 青果部のチーフとして出演しているんだけど、その様子がなんとなく、藤井隆さんに見えて仕方がなくて、ついこんなツイートをした……ところ、よくよく調べてみたらこの映画に出演している頃の三宅さんは45歳だった。若くない。

 三十代ぐらいだと思っていた。めちゃくちゃ若く見えた。

 三十代ぐらいの藤井隆さんを想像してこう呟いたんだけど。

 まあそれだけなんですが。

 

 不破万作さんが相変わらずいい演技をしてらっしゃった。

 

 

【「ニルヤの島」読み終えたけど、マジでわけわかんなくなったから、エクセルで表作る。これが俺のSF脳の限界。】

https://x.com/fullyashiki/status/1938596207552770126

 柴田勝家「ニルヤの島」を読了。したけど、私の脳の理解が追いつかなかった……のと、この小説は通勤電車でちょこちょこ細切れにして読むような作品ではなかったな、と後悔した。

 

 そもそもの設定からして、自分の記憶をあるテーマに基づいて叙述し直して(並びかえて)認識することで、人生や行動、記憶の意味をきちんと認識できるようになる、という技術が使われるようになった世界というSFなのだけど。

 

 この技術設定の説明で作中「一度読んだ本をパラパラと飛ばして読み直すみたいなものだよ、もっとも読んだという記憶だけがあって、その先の展開までをはっきりと思い出すことはできない」という記述があったんだけど、読了後にまさしくこれと同じことをやってしまった。おかげでエクセル表を作らなくてもなんとなく理解が追いつきました。

 

 我々の記憶は、人生は、そもそもが断片的である、という前提で物語は進む。

 それにストーリー(≒解釈)を持たせるために人間は信仰やら共同幻想やら、ミームやらを用いるのだという話でその点はすごく、なんというかこれは自分でかみしめなくてはいけないテーマだな、と思った。

 我々の生活は特に断片的になりつつあると私も思っていて、文脈がどんどん切断されてきている。地続きじゃなくなってきている。個々の情報がその文脈でつらなっておらず、唐突にタイムライン上(生活上)にあらわれる。

 しかもそれは自分と全く無関係ではない。むしろ自分に関連しているからアルゴリズムやAIがおすすめしてきているわけで、自分とは関連している情報なんだけど、情報に体系的な流れがない、という情報乱流の中において、確かにこんな風に勝手に文脈を作ってくれる技術はありがたいと思うけど、しかし現実もほぼそうなりつつあるよなあ、とは考える。

 

 技術面ではなくて、実際の状況としてそういうことをしてしまうようにどんどんなっていっているよなあということで。

 たんなる情報の羅列を勝手に意味性を持たせて並びかえてしまう行為の過激化されたものが、陰謀論や運命論なんじゃねえかな、と少し思った。

 だから私は世界史を少しずつ勉強したいんだけど、いかんせんはかどっていないのでこの話はまた今度。

 

 作中、なんだか素敵なボードゲームの描写があるんだけど、やっぱり物語世界で独自の難しくて示唆的なゲームが出てくるとワクワクしますね、無条件で。

 HUNTER×HUNTERの軍棋とか、軍棋とか。

 

 

【これは……!? と急に思いたち、最近は移動中にはヘヴィメタルを聴いてる。 やっぱり自分のかわりに頭の中でドンバンドンバン大暴れして「ウボァー!」とか叫んでくれている何かがいるとだいぶ生活が捗る気がしている。野太い声で吠えてくれていればいるほど良い。】

https://x.com/fullyashiki/status/1941075426388185454

 

 ストレスが地球をダメにする(森高千里)

 というわけで、ストレスが生活の端々で俺をどうにかしようとしてくるので、その対抗策はないもんかいと考えた結果、いつぞやなにかで読んだ「ヘヴィメタルを聞くとストレスが軽減されるという研究結果がある」みたいな情報を思い出し(めちゃくちゃ胡散臭い)、移動中などにヘヴィメタルを聞くようにしている。

 主に通勤中と、筋トレ時に聞いているのだけど、これが、なんと、意外にも、大変よろしい。

 

 うぼあー!と野太い声で誰かが叫んでくれていることがストレス解消になる、というのは予想していた通りでそのままの効果があるのだけど、それよりも意外なのは「苦境に耐える心構えができる」というか、ヘヴィメタをBGMにすると「試練よ……俺は耐え抜くぞ……」みたいな、渋い思考が顔を出すんですよね。あれなんなんだろう。

 北欧ではヘヴィメタルがとても盛んだという話を読んだことがあって、それは長い冬の夜の孤独を耐え抜くためにそれに寄り添っているメタルの曲が親しまれるとかなんとか、そういうことだと書いてあったので(めちゃくちゃ胡散臭い)、そういうことなのかもなあと思った。

 少なくとも南国ではこういった曲は聞かないだろうなとは思う。

 私も山々に囲まれた冬の土地出身ではあるので、確かにこういう音楽が内燃機関的に自分の中でずっと鳴っていてくれないと越せない夜や生活の日々はあるよなあという実感はある。

 

 ラムシュタインとパンテラがいい感じなのがわかってきました。

 

 

 

 ――と、このようにしてなんだか風呂敷を広げるのはうまくいきそうな気がしているので、今後はこんな風にしてブログを書く訓練をしていければなあと思っております。

 

 冬ぐらいまで人前に出る仕事はあんまりないので、こういったこまごました自分周りのことを強化していく月間にしようと思っています。

 

 あ、この画像は特に何の意味もないんですが、公式ホームページに埋め込みでブログの画像を表示させるようにしたところ、「シホウドウセキ」紹介記事の安東さんが大写しで表示され続けているので、なんか他の写真で押し出さないと、と思って貼っただけの、画像フォルダ整理していたら出てきた上京して最初に住んでいた自分の部屋の本棚の写真です。

 置かれている白黒の写真は友人が撮ってくれた20歳ぐらいの頃の私。

 これはおそらく飲み会でみんなを家に読んだ時の写真で、「(白黒写真が)遺影みたいだね」と当時笑っていたけど、この写真の青年(若き日の俺)は今はもういないので、本当に遺影だよな、としんみりしてしまいました、人は日々新しくなる!

 

日本のラジオ「シホウドウセキ」人物紹介

すっかりご無沙汰が常となったこのブログですが。

 

ただいま東京都北区は王子のインディペンデントシアターOjiにて、日本のラジオという団体の「シホウドウセキ」という作品に出演しています。

 

舞台です。6月8日まで。

 

関東最悪の暴力団の抗争を終結させるために各団体の幹部と警察があつまって会議をする……という内容の会話劇です。

 

任侠モノではなく、あくまで会議モノ。

 

ややこしいはなしをもっとややこしくする暴力団という人種と、ややこしい話をややこしくしか処理できない縦割り社会の権化である警察と、なぜか顔を出した政治家と、なぜか居合わせることになったパチンコ屋の社長が織りなす、割とコミカルなノワール会話劇です。

 

以下に、稽古中Twitter?X?に投稿していた(私なりの)登場人物紹介(に手を加えたもの)を改めてまとめておきますので、もしも面白そうと思ってもらえたなら、ぜひ劇場に足を運んでいただければと思います。

 

ご予約、まだできます。

passmarket.yahoo.co.jp

 

 

空蝉組 若頭代行 アンドウ

前作「ナイゲン(暴力団版)」に引き続き、アンドウこと安東信助さん。

暴の方とは思えぬ柔和さを片手に持ちつつ凄んでくるのがリアルで嫌です。
笑顔で人のカタチを整えられるタイプのアレです。

前作では花月一家の人として組内のごたごたに疲れていましたが、今作では若頭代行として組外のごたごたで疲れています。

あれ? 若頭代行? 空蝉組って若頭がちゃんといなかったっけ? どこ行った? とお思いのあなた鋭い。鋭いので「シホウドウセキ」を観に来ましょう。

 

私の役セキヤとは、セキちゃん、アンドウと呼び合うような、馴れ合わず突き放さずの距離感でやってます……のはずだったんですが稽古の様々を経て、なんだかんだ距離は近づきました。理由は後述。

 

 

 

警視庁暴力団対策課 主任 セキヤ(空蝉組担当)

私です!

警視庁暴力団対策課警部補のセキヤです!
古畑任三郎と同じ職位!
若手です!

今回の暴力団同士の議論においては、とにかく大きな声で、思ったことを素直に伝えています。

「ねぽりんはぽりん」でマル暴の人が「(暴力団と担当マル暴の関係は)愛がない生活指導の先生と不良みたいなもんです」と言っていてそのことが凄く印象的だったんですが、稽古中のなんだかんだを経て割とそんな感じになったと思います。

 

 

 

藤道会 幹事長 マキ

マキこと山城秀之さん。
本作におけるかわいい担当いわゆる「かわ担」でして、ふとした時に視線を向けると「ふふ……」となるのですが、口から発してることはおおむね他者を痛めつけようとする旨の発言ですので、やはり暴の人!

呼吸をするように暴。暴力と隣り合わせの生活。

前作「ナイゲン(暴力団版)」で空蝉組をめんどくさいことにした藤道会とはここの組のこと。ミヤザキ幹事長の後釜です。

 

 

 

警視庁暴力団対策課 係長 アカシ(藤道会担当)

我が上司、アカシ警部こと岡野康弘さん!

セキヤが「力」、アゲマキ(後述)が「知」とくれば、アカシは……「技」?

搦手から攻めてくるような年の功の妙があります。

妙がありすぎて得体のしれなさすらあります。

私は何気に岡野さんとの共演が7年?ぶり?ぐらい?

その時の私は暴になる運命の高校球児でした。あんまりやってることは変わってません。

今回は一緒に警になれて嬉しい!

 

 

 

鬼灯会 舎弟頭 サカキ

サカキこと笹井雄吾さん!

武闘派で名の知れた鬼灯会。

組の属性的にも御本人の体格的にもフィジカル偏重かと思いきや、賢しらに極道の在り方を説いてくるキレ者です。一番怖いんだ、こういうのが。
私とフィジカルコンタクト生じるシーンが一瞬発生したのですがなんだかんだ流れた。
暴力、ダメゼッタイ。本作は議論で解決をはかる! ……はず!

「ナイゲン(暴力団版)」で議題に挙がったナイゲンが所属している組は、ここ。つまりヤバい。

 

 

 

警視庁暴力団対策課 主任 アゲマキ(鬼灯会担当)

私の同僚の刑事であるアゲマキ警部補こと日野あかりさん。

私ことセキヤはもちろん「力」担当であり、アゲマキは「知」担当であるのは一目瞭然と思いますが、心なしか本議論においてもしばしば見下しを感じる所存!

同じ警察であっても一枚岩ではないということですし知能にもばらつきがあります!

女だてらに、という言葉すらも一笑に付すであろう迫力がある。

 

 

 

房州藤道会 若頭補佐 ヨシオカ

前作「ナイゲン(暴力団版)」に引き続き、ヨシオカこと吉岡そんれいさん。

空蝉組にいたはずの人ですが、ちゃっかり敵対勢力に移って、ちゃっかりまた別の組?にいるちゃっかりおじさん。
まとまる話をまとまらなくさせる暴の方。こいつがいなければ議論が秒で片付くのに。

そんれいさんと私、なんと13年ぶりの共演! お久しぶりです! お元気でした?

 

あれ? この人って空蝉組にいたよね? 確かその時も揉めてて……なんか藤道会?にうつったんじゃなかった? でもあれ? 房州? 何その組?

と思ったあなた、鋭いです。鋭いので「シホウドウセキ」を観に来てください。

 

 

 

某県警銃器対策室 ウキフネ(房州藤道会担当)

某県警ウキフネ巡査部長ことシオザキさん!

風貌から、そしてヨシオカ担当ということからおわかりの通り、曲者中の曲者。

彼だけ警視庁(都内)ではなく、県警の方です。房州の方のね。
我ら警視庁側が「知・技・力」と三位一体?で話し合いに臨むところウキフネはさしずめ「虚」!
ひとり虚を突いてくるし、なんか虚ろ。
この人本当に警の人?

っていうかシャツは裾にしまわなくていいの?

警察なのに?

いい。そのほうが格好いいし、ウキフネらしいから。

 

 

 

与党国会議員第一秘書 カシワギ

与党議員秘書カシワギこと永田佑衣さん!

「会ってみるといい人なんだよなぁ……!」という政治家の最重要スキルを意図せず使うナチュラルボーンポリティシャン。

悪い印象を抱けない。すべての行為をさも当然であるかのように行う。ぬらりひょんと同じ能力を持っている。
警と暴がやんやとやりあってるところに政が入ってこないわけはなく、当然のように顔を出してくる。

金と犯罪が絡むと大体この三者が出てくる。

我々の議論(闘い)を解説してくれたりもするぞ!

 

 

 

警察庁暴力団対策室 理事官 タケカワ

タケカワ警視正こと沈ゆうこさん!

警察組織全体の約3%しかいないらしいキャリア組。
今回の議論においてわれわれ警側の中では一番偉いが故に(我々は)必ず従わねばならない強者。

でもそんなの暴力団には関係ないよねー。

常に微笑?を絶やさないその目の焦点は現実世界のどこにも合っていないという……。

理想と建前で作り上げられた真の組織人。

今回の会議の立案者。というだけでややヤバいのはうかがえる。

 

 

 

株式会社ミノリコーポレーション 取締役副社長 シイモト

「シホウドウセキ」ミノリコーポレーション(パチンコ屋)副社長シイモトこと國枝大介さん!

警と暴の話し合いに放り込まれた「民」。なんでそんな目に? と思うかもしれませんが、我々もそう思ってるし、彼自身もそう思っているでしょう。

観客のほとんどは彼と同じ立場かと思いますが(まさか警暴政の方、いますか? いても名乗り出ないでください)ご想像の通りずっと不憫。

市民として議論の内容に怯えつつ、三店方式にはシラを切り続ける。

 

 

 

以上の11名でお送りするシホウドウセキですが、三方囲みの客席ですんで、お好きなところでお好きな人を見ていただければと思います。

王子でお待ちしております。

 

15周年

 2024年が終わる!

 終わってしまう!

 

 というわけで、今年の総括をまたぽっこりと書き連ねていこうと思います。

 

 ……というブログの続きを書こうとしている今、2025年1月です。

 

 この時点でもう、私の2024年がどういうもので、2025年がどういうものになるのかお察しいただけるかとは思いますが、まあ、ね……。

 

 2024年は、

 

 Casual Meets Shakespeare『OTHELLO SC』

 人狼 The Live Playng Theater Orbit Ⅳ

 The Experimental Theater『結合男子』

 『ミセスフィクションズのファッションウィーク』/日本のラジオ『浴室にて改』

 人狼 The Live Playng Theater Orbit Ⅴ

 Casual Meets Shakespeare『MACBETH SC』

 

 計6作品の舞台に出演して。

 

 合間にちょこっと映像作品に出ていて。

 

 東洋空想世界『blue egoist』

 

 のアンダースタディに参加していました。

 

 nice科学は初めてコミティアに出店しましたが、私個人は新作を書けなかったので、その点悔やまれます……。

 

 ともあれ2024年、本当にたくさんの方にお世話になりました。

 忙しくなればなるほど、身近な人を始めとする多くの方々のありがたみを感じる日々でした。

 新しい出会いもいくつもあり、そちらにも感謝感謝でございました。

 

 余談ですが、今年で上京して(a.k.a芝居を始めて)15周年でした。

 だから何ってわけじゃないんですけど。

 

 2024年、米津玄師の「さよーならまたいつか!」をよく聞いていました。

 私はこの歌の「見上げた先には燕が飛んでいた」の部分がとても好きで。

 「気のない顔で」飛んでいた燕が、2番になると「見上げた先には何もいなかった」と、どこかに行っちゃってるんですよね。

 思えば、今までの人生ってそういうことばかりだったな、とこの曲聞くたびに思うのです。

 見上げた先に、憧れや羨望や嫉妬やなんなら苛立ちを覚える存在がいたとしても、時間が経ってふと空を見ると、もうそこに同じようにその存在があったりいたりするわけじゃないんですよね。

 もっと先に行っちゃってたり、別のところに居たり、いなくなってたり。

 見上げている私だけが、変わらずいつも傍にいる、という。

 私の位置が変わったから燕が見えなくなったのか、私が動かずに燕がさらに遠くに行ったのか、わからないけれど。

 

 そんなことを考えながら、数奇な偶然を感じたりしながらも、なんだか上京してきてからの15年を振り返る機会の多い2024年でした。

 

 ……まあ、後ろ向きにぐちぐちしがちな私なんで、お前が過去を振り返らない年があったか? と言われると、べつにいつも通りなのかもな……と思えなくもないんですが。

 

 2025年はすでに稽古が始まっている作品もあり、情報公開を控えている作品もあり、嬉しいスタートを切れております。

 一つ一つ大事に、気を抜かずにやっていきたいすね。

 

 無理せず、油断せず、が今年の抱負です。

 

 16周年目も、よろしくお願いします。

お筆先

 お筆先、というのはこの間読んだ中島らもの「永遠も半ばを過ぎて」で知った言葉だ。

 この小説は、写植オペレーター(いまこの仕事ってあんのかな)として働き、ただひたすら誰かが書いた文字を機械に打ち込み続ける男が、「目にした覚えのない」文章を無意識のうちに打ち込むところから話が広がっていく。

 

 その他にも、この主人公のもとを訪ねてくる詐欺師の友人について描かれるパートでは天衣無縫な詐欺師っぷりなども面白い作品ではあるのだが、なんと言っても主人公のパートにおいてはただひたすら「書くこと」について言及し続けている、特異な作品だ。

 作中において「書くこと」ということは「書くこと」にほかならず、それはつまり創作や作劇や芸術とは異なった位相にある。

 物語を「書くこと」と特売チラシの文章を「書くこと」は同質のものとして描かれ、つまりどこかから文章を取り込んだ主人公が指を使ってキータイピングをして「書く」ということにおいて、それは同じ行為なのである。

 

 お筆先、というのはこの境地、というかこのエンジンがかかって来た状態を語る言葉だ。

 いわば自動筆記の状態をさす言葉だというのは初めて知ったのだけど、元は神や霊の作用によって意図せず書かれた文章のことらしく、作中で登場している過去の霊が現代の人間にのりうつって書かせた物語などはまさしくそのお筆先の典型的なものだ。

 「永遠も半ばを過ぎて」の主人公が体現する「お筆先」はまたそれとも異質なもので、自分が今までに取り込んできた文字の奔流が意図せず流れ出ているかのようなニュアンスで描かれており、外的な超自然存在の悪戯というよりは、内在する無意識の顕現というもののようだ。

 

 とにかく、このお筆先という言葉が気に入った。

 

 僕も、どちらかというと「お筆先」の人だからだ。

 ここまでの文章もお筆先でつらつらと数分で書いたのだけど、こういう、あまり考えこまずにただ言葉の運びに任せて目的地のない文章を書くというのが僕の書き物の根源であり典型だと自覚している。

 

 話は少し飛んで。

 

 つい最近読んだスティーヴン・キングの小説「骨の袋」は作家が主人公のホラーだった。

 キングの作品には作家が良く出てくる。作者の似姿として描かれているように思える時もあれば、少しかけ離れた存在として意識しているのだろうな、と思う時もある。本作の主人公はどうか。その作劇の仕方、というか文章の書き方においては、この人物はかなり「キングっぽい」んじゃないかと思える。

 キングはよく「書くため」の話をインタビューや書籍で語っている。キングの小説は細かーい描写と舞台となる土地の歴史や人物の来歴のリアルさなんかが持ち味の一つではあるのだけど、意外にも彼自身は緻密にプロットや設定を作り込んで初稿を書くわけではないらしい。「初稿は勢いよく、辞書や資料を引かずに書け」ということはしばしば彼の語る作劇論だ。

 「骨の袋」の主人公マイク・ヌーナンもそのタイプらしく、(実はこの話の主要素は売れっ子作家である彼が小説を一切書けなくなってしまうというところなのだけれど)彼の文章の書き方はとにかくその世界に埋没して、資料などは見ないでただひたすら文章を書き続けるというスタイルのようだ。

 そして作中ではしばしば、その様子が自動筆記じみたトランス状態のようにも描写されている。

 周りが見えなくなる。文字情報とその世界の中のことしか存在しなくなり、それをただタイプする機械に作家は成り下がる。

 これもまた、お筆先だ。大変気に入った。

 

 つまり何が言いたいかというと、ここ数年、真面目に小説を書こうとしてきたし、それを少しで面白くしようと様々な作劇術や文章の本を読んだりしてきたけど、結局のところお筆先でしか文章を書けない人種というのはいる、それが自分なのだ改めて再認識した。

 

 その最たるものがTwitterであり、だからこそあのSNSの更新頻度は高くなるのだけど。

 

 ここのところ小説から遠ざかっている。書けない自分を自覚するのが嫌だからだ。

 練りに練った長篇のプロットはお筆先からかけ離れ、破綻も停滞もないはずなのにまったく筆が進まなくなってしまった。

 お筆先の入る余地がないからだろう。

 

 この余地、というのはここ数年俳優業の方でも学んだ要素で、決めに決めた演技プランでは不思議と面白味が生まれないものなのだ。破綻はないし、ブレも少なくはなるけれど、窮屈で予定調和になる。

 これもまた最近読んだ「俳優のノート」で山崎努さんが語られていた。

 俳優というのは予測のつかない演技をするべきだ。しかし時間をかけてはいけない、というようなこと。

 

 分野は違えど、各道の達人たちが言い方を変えながらつまり同じことを言っているような気がするのは、そこに今の僕が求める言葉や道があるからだろう。

 

 しばらくは「お筆先」を大事に、諸々やっていこうと思う。

 

 この文章もまたお筆先なので、特に着地点はない。

ありがとうとはいつくばって

 俳優というのは「NO」といわれる仕事なのだと、とある名優が話していました。

 拒絶されてばかりだと。それを恐れるな、と。

 

 かの名優でそうなのですから私など言わずもがな。

 実際「NO」と言われることばかりで「YES」の数はいつも追いつきません。

 

 ここ2年間で受けたオーディション、私が通ったのは一本だけです。本当です。いやになりますね。

 でも、そのひとつの「YES」が無数の「NO」を打ち消してくれる、そういうことだってあるのです。

 

 もちろんそれはオーディション通過やオファーとしての「YES」だけではなくて。

 

 例えば、出演した舞台を見た方が何気なく呟いた感想だったり、朗読した作品のレビュー欄にまさか関係者が見るとも思わず書かれただろう一言だったり、稽古場で投げられた何気ない評価だったり、ふとした雑談で同業者がくれる言葉だったり……。

 そういう大小さまざまで、数えるほどしかないような「YES」がその何百倍もの「NO」を蹴散らしてくれる瞬間が確かにあるのです。

 

 移動中の電車で、労働先で、頭を抱える自室で、眠れぬ夜の中で。

 もうやめようもうこんなことは続けられない続けたって意味がないもう無理だ限界だ普通の生活を送りたい……そう思う度に、その「YES」を懐から取り出して数え上げ大事に眺め歯を食いしばるのです。

 

 すべてにおいて無力な瞬間、打ちひしがれるしかできない時間の中で、その「YES」だけが心の拠り所でした。

 

 ありがとう、間違いなく、あなた方のおかげで私はここまでやってこれました。

 

 

 この度、今までにないほど大きな「YES」をもらえました。

 実技審査に臨んだ時、私は嘘偽りなく、ここで終わったとしても後悔はないな、と思えていました。

 合否よりももっと手前に、今まで自分が培ってきたもの、歩いて来た道のり、貰って来たものを尊敬する方に披露できる、というのが嬉しかったのです。これが私を支えてきてくれたんだぞ、と。

 もちろん、オーディションに通過できたときはもっともっと嬉しかったです。 

 それでもやっぱり、これは私だけの力ではなくて、私がもらった今までのたくさんの経験によるものだなと思っています。

 あのときあそこに一緒にいた、あなたやあなたのおかげです。

 

 

 さてそんなわけで、相変わらず今後どうなるかもわからないような身の上ではありますが、また一つ大事に抱えられる「YES」をもらえました。

 

 まだまだな体たらくの私ですので、次を最後に……ということだってあり得ます。実際、この先を保証してくれるような予定は一切立っていないのが現状です。

 なにせ来月の労働のシフトをどうしようか悩んでいるような私ですから。

 

 でも、それでも。

 そう終わるのが私なのだとしても、今までもらった「YES」の輝きは失われません。

 

 これから押し寄せるであろうさらに膨大な「NO」の中、私を踏ん張らせてくれるのは懐にしまい込んだ「YES」たちです。

 

 どうか今このときばかりは、胸を張らせてください。

 あなたが投げかけてくれたその評価は、私を支えてくれたその言葉は、間違ってなかったのだと。

 そして胸を張って欲しいとも思います。

 あなたの「YES」は、こうして大きなところで認められました、と。

 あなたが面白いと思うものは、ちゃんと面白かったんだ、と。

 

 もちろんすぐに「NO」は押し寄せてきて、私は(いつもそうしているように)這いつくばることになるでしょう。

 眠れぬ夜と未来と格闘する日々はそう簡単には抜け出せないでしょう。

 

 でも、懐には宝物があります。

 それらに、ありがとう、とそっとつぶやいて私はまたずりずりと這ってまいります。

 

 まずは目の前の仕事へ向かって。