アナタサヨナラテポンポン

古屋敷悠と森宇悠の暫定的ブログです。

カーテンコール

こちらではご挨拶が遅くなりましたが、クロジカ『蒲田行進曲』全公演無事に終演いたしました。

 

ご来場いただいた皆様、スタッフをはじめとする終演まで尽力いただいた皆様、気にかけてくださった皆様、二馬力とは思えない怒涛のエネルギーを舞台の表裏で燃やしまくっていたクロジカのお二人、出演者と同じぐらいに歯を食いしばって粘りのた打ち回ってくれていた演出・構成のフジタさん、暴れ馬のような戯曲に身を削りながら喰らいついていった不屈の共演者たち、そしてとんでもない化け物戯曲を作っていったつかこうへいさん、すべての皆様に感謝を。

 

このご時世で最後まで一人も欠けることなく公演を終えられたというのも含めて、奇跡のような公演でした。ありがとうございました。

 

思い入れが元々ある作品の上に、3月のオーディションから12月の本番までとにかく濃密な準備期間がありまして、さらに語りたいことばかりになってしまったんですが、すでに終わった公演にわざわざ蛇足を重ねるのもあまりよろしくなかろうということで、色々は伏せたままにします。

どこかでお会いした時に、酒の肴にでも、ぜひ聞いてください。

 

 

……でも、やっぱり、ひとつだけ。

 

 

方々で話しているのですが、私は昔からこの戯曲ではずっと「ヤス」をやりたいと思っていました。

 

いや、ヤスじゃなくても、マコトでもトメでもユウジでも(今回は出てこなかった「池田屋シュッシュ」が絶品のやつとか、病気の母親がイリオモテヤマネコなんで帰郷しなきゃいけないやつとか……)大部屋の誰かをやりたくて。

 

というのも、私のように思うほどにはハネもせずしかし辞めるほどの大きなきっかけもつかめず芝居を続けてきた人間にとっては、大部屋俳優という役どころは並々ならぬ思い入れがありまして。

 

もうこんなの、俺じゃん。俺たちじゃん。と思いながら戯曲読んでるわけですね。

 

「大部屋に入ってると性根が腐っちまうんだってよ」なんて台詞は今回の公演でもありましたが、もうまさしく、性根が一度腐りきって発酵し、えもいわれぬ芳香を放つようになったおかげで逆にそこを面白がってもらえた時期まであったような私にとっては、大部屋こそ我がためにある役、という気が、やっぱり、ありましたよ(色々読んでいるうちに銀ちゃんにも大部屋俳優たちと同じものがあり、逆もまた然り、というのはわかってはくるのですが)

 

でも、そんな私でも、銀ちゃんの役を振られて、稽古して、本番して……その間はやっぱり「スターの銀ちゃん」なんですね。

ヤスだってそうです。小夏だってそうです。大部屋たちだって、橘だって、監督だって、みんな、本当はどんな人間かなんて関係なく、その役を振られて、稽古したら、その役になるんです。少なくともお話の中では。

 

でもそれはすべて役の上でのこと、カットがかかったら、終演したら、そこには役とは全然違う俳優がいるわけです。

 

僕はそういうのが……なんていうか昔から、小さいころから、すごく好きだったんです。

 

カーテンコールとか、NG集とか、メイキングとか、そういうの。

 

ああこれは全部嘘だったんだ、お話だったんだ。

そう思える瞬間っていうのが凄く変に思えて、面白くて、大好きでした。

 

蒲田行進曲』と言えば映画版ラストのカーテンコールがやっぱり有名ですが、あれこそまさしくです。

 

ぜんぶ嘘っていうことがなんでこんなに嬉しいのか、自分でもうまく言語化できないんですが、とにかくそういうのが昔から大好きで。

なんででしょうね? なんだか、現実を超える瞬間というか。虚構が現実に克ってたんだって実感できるっていうか。やっぱりうまく言えないんですけど。

 

とにかく、だから、今回のラストもあのカーテンコールがやれるというのはすごく嬉しかったです。

普段の芝居では自分が出るカーテンコールってあんまり得意じゃないんですが、本作はきちんとそこも含めてのお話で、あのカーテンコールやれたのはよかったなあと思えました(あんまりこういうことは自分で言うもんじゃないすね、でもあそこ好きなんです)

 

全部嘘でした。お話でした。みなさんが(ありがたくも)拍手をしてくれて、お帰りになったら、すべてなくなります。消えます。

 

そんな芝居、これからもやりたいなあ、と思っております。

 

すべては虚構、でも虚構だからこそ、現実から離れたことができる。すごいことができる。そう思っております。

 

 

まだまだ配信もありますが、あ、そうだ配信あるんですよ、ここから買えます。29日から観られます。

 

配信チケット詳細

 

……ですが、ひとまずの終幕としてカーテンコールを書かせていただきました。

 

 

それでは、私は次の虚構を探しにふらふらして参ります。

みなさん、また現実や虚構の中で会ったり見かけたり手を振ったり振らなかったりしましょう。

 

ではでは。