アナタサヨナラテポンポン

古屋敷悠と森宇悠の暫定的ブログです。

第一話みたい

 とにもかくにも、何やら大変みたいですよ。

 

 我々が頼りに頼っていた情報集合体ことトゥイッターさまが、ついについにその延命空しくボロボロになっていく真っ最中であり、トゥイッターの大樹に寄っていた人々が次なる寄合所を探し右往左往する様はまさしくバベルの塔に下された罰のその光景を彷彿とさせ、阿鼻叫喚と混乱のさなか、私はひとり静寂につつまれた薄暗い部屋の中で久しく更新していなかったこのはてなブログを動かしているわけなんですよ。

 

 もうこれはですね、もうこれはロボットアニメの第一話のごとく、混乱と爆撃の中でひっそりと村はずれに忘れ去られていた古の"BUROGU"をこう……「いける……動かせる! まだ俺たちにはコイツがある! 俺ならやれる!」という感じでガッションガッション動かすという、よくわからない清々しさをともなった久しぶりの投稿なんですよ。そういう気持ちでいま俺は動かしてる、このブログを。ブログの書き方を思い出している。

 

 まあ市井でまっとうに暮らしていらっしゃる皆様からしたら、楽しいコミュニティの消失、という意味合いが強くて、どのように時間つぶしをするか、情報共有するか、どうやってネットの大海をさまよえばいいのか、というのが目下悩みの種でしょうが。

 

 私のような、木っ端個人事業主からするとですね、みんながそろって眺めている街の掲示板みたいな情報発信のスペースが失われるというのは結構な痛手でして。……どこでクエスト受注すりゃいいのよ。ええ? どこで号外が配られんのよ? 探し人はどこに尋ねればいいの?

 

 私は東京で小劇場の舞台に立ち始めたのがもうトゥイッターが普及し始めている頃だったので、そのころからもう……12,3年ですか? それだけの間、主にトゥイートのみで出演情報や自分の芝居の情報を発信し、それをつたって観に来てくれたかたや自分を知ってくださった方が応援してくれて今なんとか俳優活動を続けていられる……というような、そういう中でやってきましたんでね。

 これもう未知の世界というか……つまり、まるで、そう、未知の世界ですよ。

 

 これが本当にロボットアニメの第一話だったらば、おろおろする人々がみんな私の動かす”BUROGU”によって導かれて、その結果なんか巨悪(たぶん増税とか地球温暖化とかプロテインの値上げとかを促しているヤバイ組織)を倒したりするんでしょうけどね。

 

 現実はあのう、もうこのさびれた機体をね……動かしていくうちに「あ、そうだ、べつにこれスーパーロボットじゃなくて、ただ村の隅に置いてあったオンボロ機械だった……べつに凄い能力なかった……」って気がついていくっていう悲しい状態になりつつあります。もうこの、あの、全然、混乱する人々は導けないし、なんなら俺がまだ混乱してるっつーね。全然混乱してる。まだわかんない。どうすんの? バカじゃない? こんなよくわかんないブログ動かしちゃってさ。なにこれ。文字ばっかり。全然楽しくない。もっと絵とかマンガとか写真とか動画とか情報商材とか載せなさいよ。

 

 と、そんな風に村はずれに放置してあった耕運機を必死こいて動かしながら、今年の夏もえっちらおっちらやっていくことになりそうです。

 ……という唐突な尻すぼみと、怒涛の投稿後加筆修正(ここまでで数十か所投稿後に直している)こそが我がブログスタイルの真骨頂だと思い出しましたので、以後この通りにやっていくかと思います……。

 

 そんな第一話ですが、今クールも最終話までどうぞお付き合いくださいませね。

暮れの元気なごあいさつ

 本年は、

 

BANANA FISH

蒲田行進曲

 

 と(みなさんにお伝えできる)出演作品はふたつだけでしたが、どちらも自分の今までやってこなかったことへの挑戦とやってきたことの駆使ができる作品でした。

 今後の自分の進む先、どんな風になりたいかの展望を見つけ出すきっかけになった、どちらも大切な舞台です。

 

 気にかけて下さった皆様も、ご覧いただいた皆様も、本当にありがとうございました。

 

 このことはまた改めてブログにでも書こうと思っていますが、自分にとっては大きな喪失もあり、目の覚めるような出会いもあり、30代に突入して落ち着いたり退屈したりするのかと思っていたら、どうやらまだまだ色々なことが起きるらしいです。すごいですね、人生ってやつは。

 

 竹易てあし『おひっこし』の台詞「待っちゃくれないのよ人生はー!」という言葉を日々思い出しております。

 そしてどうやら来年も人生、続くみたいです。ありがたいことです。

 

 ぼちぼちやっていこうと思います。

 

 そちらはどうでしょうか。うまくやっておりますでしょうか。

 

 いまんとこはまあ、そんな感じです。

 

 よいお年を。

 

 そして(ほどほどに)(具合が)よい人生を。 

 

 

カーテンコール

こちらではご挨拶が遅くなりましたが、クロジカ『蒲田行進曲』全公演無事に終演いたしました。

 

ご来場いただいた皆様、スタッフをはじめとする終演まで尽力いただいた皆様、気にかけてくださった皆様、二馬力とは思えない怒涛のエネルギーを舞台の表裏で燃やしまくっていたクロジカのお二人、出演者と同じぐらいに歯を食いしばって粘りのた打ち回ってくれていた演出・構成のフジタさん、暴れ馬のような戯曲に身を削りながら喰らいついていった不屈の共演者たち、そしてとんでもない化け物戯曲を作っていったつかこうへいさん、すべての皆様に感謝を。

 

このご時世で最後まで一人も欠けることなく公演を終えられたというのも含めて、奇跡のような公演でした。ありがとうございました。

 

思い入れが元々ある作品の上に、3月のオーディションから12月の本番までとにかく濃密な準備期間がありまして、さらに語りたいことばかりになってしまったんですが、すでに終わった公演にわざわざ蛇足を重ねるのもあまりよろしくなかろうということで、色々は伏せたままにします。

どこかでお会いした時に、酒の肴にでも、ぜひ聞いてください。

 

 

……でも、やっぱり、ひとつだけ。

 

 

方々で話しているのですが、私は昔からこの戯曲ではずっと「ヤス」をやりたいと思っていました。

 

いや、ヤスじゃなくても、マコトでもトメでもユウジでも(今回は出てこなかった「池田屋シュッシュ」が絶品のやつとか、病気の母親がイリオモテヤマネコなんで帰郷しなきゃいけないやつとか……)大部屋の誰かをやりたくて。

 

というのも、私のように思うほどにはハネもせずしかし辞めるほどの大きなきっかけもつかめず芝居を続けてきた人間にとっては、大部屋俳優という役どころは並々ならぬ思い入れがありまして。

 

もうこんなの、俺じゃん。俺たちじゃん。と思いながら戯曲読んでるわけですね。

 

「大部屋に入ってると性根が腐っちまうんだってよ」なんて台詞は今回の公演でもありましたが、もうまさしく、性根が一度腐りきって発酵し、えもいわれぬ芳香を放つようになったおかげで逆にそこを面白がってもらえた時期まであったような私にとっては、大部屋こそ我がためにある役、という気が、やっぱり、ありましたよ(色々読んでいるうちに銀ちゃんにも大部屋俳優たちと同じものがあり、逆もまた然り、というのはわかってはくるのですが)

 

でも、そんな私でも、銀ちゃんの役を振られて、稽古して、本番して……その間はやっぱり「スターの銀ちゃん」なんですね。

ヤスだってそうです。小夏だってそうです。大部屋たちだって、橘だって、監督だって、みんな、本当はどんな人間かなんて関係なく、その役を振られて、稽古したら、その役になるんです。少なくともお話の中では。

 

でもそれはすべて役の上でのこと、カットがかかったら、終演したら、そこには役とは全然違う俳優がいるわけです。

 

僕はそういうのが……なんていうか昔から、小さいころから、すごく好きだったんです。

 

カーテンコールとか、NG集とか、メイキングとか、そういうの。

 

ああこれは全部嘘だったんだ、お話だったんだ。

そう思える瞬間っていうのが凄く変に思えて、面白くて、大好きでした。

 

蒲田行進曲』と言えば映画版ラストのカーテンコールがやっぱり有名ですが、あれこそまさしくです。

 

ぜんぶ嘘っていうことがなんでこんなに嬉しいのか、自分でもうまく言語化できないんですが、とにかくそういうのが昔から大好きで。

なんででしょうね? なんだか、現実を超える瞬間というか。虚構が現実に克ってたんだって実感できるっていうか。やっぱりうまく言えないんですけど。

 

とにかく、だから、今回のラストもあのカーテンコールがやれるというのはすごく嬉しかったです。

普段の芝居では自分が出るカーテンコールってあんまり得意じゃないんですが、本作はきちんとそこも含めてのお話で、あのカーテンコールやれたのはよかったなあと思えました(あんまりこういうことは自分で言うもんじゃないすね、でもあそこ好きなんです)

 

全部嘘でした。お話でした。みなさんが(ありがたくも)拍手をしてくれて、お帰りになったら、すべてなくなります。消えます。

 

そんな芝居、これからもやりたいなあ、と思っております。

 

すべては虚構、でも虚構だからこそ、現実から離れたことができる。すごいことができる。そう思っております。

 

 

まだまだ配信もありますが、あ、そうだ配信あるんですよ、ここから買えます。29日から観られます。

 

配信チケット詳細

 

……ですが、ひとまずの終幕としてカーテンコールを書かせていただきました。

 

 

それでは、私は次の虚構を探しにふらふらして参ります。

みなさん、また現実や虚構の中で会ったり見かけたり手を振ったり振らなかったりしましょう。

 

ではでは。

なぜ虚構のなかで人を階段の上から落とすのか(、あるいは『蒲田行進曲』出演にあたっての私見)

 12月に、つかこうへいさん原作の『蒲田行進曲』の舞台に出演することになりました。

 しかも主演、銀ちゃん役です。

 

 あ、こちらから予約できます。

 

https://t.co/SMouYkLwbZ

 ※後でまた詳しく記述しますが、この作品には暴力的な表現、差別的な表現がございます。

 

 

 さて、ご存知でしょうか『蒲田行進曲

 一番有名なのはやはり深作欣二監督の映画版でしょうが、元々は舞台作品でして、映画のヒットにとどまらず小説としても発表され、ドラマ化も何度かされ、舞台でもその時その時で(ときに大筋まで)変更を加えながら再演され続けたつかさんの代表作の一つです。

 

 ご存じでない方のためにこの作品のあらすじをざっと説明しますと……。

 

 

 破天荒なスター俳優・銀ちゃんが自分の子飼いの大部屋俳優(当時は撮影所付きの俳優で、端役やその他大勢的な役を演じる人たちがそう呼ばれていたのです。スタントマン的な働きをしている方も多くいました)であるヤスに自分の子供を身籠った恋人・小夏を押し付け無理やり結婚させようとする……というところから話は始まります。

 

 ……この時点ですでに理不尽極まりないんですが。

 

 そんな傍若無人な銀ちゃんも、スターとはいえ実は人気の陰りを感じており、小夏を押しつけたのもスキャンダルを避けるため。

 そんな状況を打破すべく、銀ちゃんはなんとか主演映画で一発あてようと足掻きます。

 過去には死者も出ているという危険なシーン「階段落ち」を映画の中に入れられないかと画策しますが、死ぬかもしれないアクションをやってくれる斬られ役がいない。

 

 そこで、銀ちゃんはヤスを指名します。

 

 俺の映画のために斬られて階段から転がり落ちてくれ、と。

 

 ヤスはもちろん、受け入れます。

 

 すべては銀ちゃんを輝かせるために……。

 

 

 という。

 まあ、もう、すべてがめちゃくちゃな話です。

 

 とにかくこのあらすじだけでわかる通り、銀ちゃんというのは理不尽と傍若無人の権化のような人間です。

 作品通してずっと、ヤスを含めた配下の大部屋連中を殴るわ蹴るわ罵倒するわ、やりたい放題です。

 そのくせ酒を飲んじゃ泣いてくだを巻き、好みの女を見れば恋人がいても目の色変える。

 

 書いててちょっと、本当にどうなんだという気がしてくるぐらいにめちゃくちゃな人です。

 

 しかもこれ映画版に寄せたあらすじを話してますが、映画版ではかなりマイルドになっている方で。

 元々は舞台が先なのですが、その後何度も再演されているどの舞台版においても、銀ちゃんを始めとする登場人物たちの暴力は凄まじく、その発言も目を剝くようなひどいことばっかり言ってます。

 

 

 そんな作品のどこがおもしろいんだ、と言われれば……。

 

 

 まさしくそこが面白いんじゃないかな、と私は思っているわけです。

 

 

 そう、なぜそんなものが面白いのか、ということなんですよ。

 

 なぜ、人が階段から転げ落ちるのをわざわざ芝居にするのか。

 なぜ、人を殴る蹴るして声を荒らげ、啖呵を切って理不尽をぶつける傍若無人な人物を登場させるのか。

 なぜ、そんなものを面白がるのか。

 

 

 それが「虚構」だからだと、私は思うんです。

 

 

 私は、暴力が嫌いです。

 自分が振るわれるのも、振るうのも、およそ生活の中で暴力とは距離を置きたいと思っています。

 例えば反社会的勢力や、犯罪行為や、そういったものも同様です。人を罵倒するのもされるのも、気分が良くないので避けたいです。

 

 でも『オールド・ボーイ』や『ファイト・クラブ』や『バトルロワイアル』の暴力性に圧倒され、『青い春』観てクラクラやられ、『ファーゴ』は映画もドラマもすべて観て大好きになったり、舞台の本番前に『セッション』を観てテンション上げていたこともありますし、『パルプ・フィクション』だって『レザボア・ドッグス』だって何度観ても面白いわけです、

 

 暴力的だったり過激だったり犯罪を扱ったりしているそれらの作品をなぜわざわざ好んで観るのか。

 

 それらがすべてちゃんと「虚構」だからなんです。

 

 中には事実を基にしているものもありはしますが、それでも、目の前でその行為が繰り広げられていたらそんな風に楽しめるわけがなく、演技と演出と技術によってつくられ、編集され、パッケージングされた虚構だから、現実では味わえないような(味わいたくもないような)心の動かされ方を面白いと思えるんじゃないでしょうか。

 

 そう、それら虚構を通じて何を求めているかといえば、私は、現実では有り得ない、自分の生活の中には有り得ないような心の動きを求めているのです。

 

 スリル、興奮、恐怖、命の危機、怒り、争い、闘争、切なさ、憧れ……などなど。

 そういったものを求めています。

 そういった非日常を。

 

 しかし「非日常」ですから、それらを求めながらちゃんとすべては虚構であって欲しいとも思っています。

 

 「極端な非日常」は虚構だからこそ楽しめるものだからです。

 

 理不尽な暴力も、目をむくような言葉の応酬も、狂っているとすら思える極端な思想も、乗り越えられるかわからない試練も、日常にはあって欲しくない。

 

 だからこそ虚構として、舞台の上で、スクリーンや画面の中で、紙面の上で、頭の中で、極端な非日常としてそれらを眺めて楽しみたい。スリルや恐怖や興奮を疑似体験して心を揺さぶられたい。

 つまりはそういうことなのです。

 

 

 そして私がつかこうへいさんの作品に求めるのも、つかさんの戯曲を面白いと思うのも、まさしくその部分なのです。

 

 

 『蒲田行進曲』をはじめとする、過激で、極端で、目を剝くような凄まじい非常識。

 日常生活では到底受け入れられるものではないのですが、それら非常識から生じる大きなパワーやドラマ、スレスレのスリル、滅茶苦茶な世界観……すべてが渦巻くカオスのなかで描かれる「非日常」が面白いと思うのです。だからこの作品をやりたいのです。

 

 

 しかし同時に、観客がそれを面白がるためには、それらはすべて「安全」な「虚構」でなくてはいけないということも、強く思っています。

 

 舞台上では、物語の中では、罵倒し、殴り、蹴り、振り回しながら、それらはすべて「お芝居」で、本当に俳優同士が傷つけ合うようなことはあってはならない。そう思うのです。

 

 例えば人を殴る芝居で、人を本当に本気で殴って怪我をさせてしまったら、それはリアルな演出ではないのです。ただの暴行現場の目撃になってしまうのです。

 

 サスペンスドラマを見ていて、死体役の人が本当にその場で殺されていたら、トリックを考えるどころではなくなるでしょう。

 

 街が破壊されるスーパーヒーロ―モノで、本当に街並みが爆破されて人々が下敷きになって死んでいたり傷ついていたら、もうそんな作品は観たくもなくなるはずです。

 

 

 リアルとは何か、ということはフィクションを作ることに関わっている人ならば誰もが一度は考え、それぞれに意見を持っていることでしょうが、私は「リアル」と「本物である」ことは別だと考えています。

 作品それぞれの真実味やリアルさは目指すべきですが、本物を絶対に目指す必要はないはずだと、思っています。

 

 安心して作品世界を楽しめるのはそれらがすべて虚構だとわかっているから、という考えだからです。

 虚構だからこそ無責任に、現実の生活では体験しえないような心の動きを味わえるのです。

 だからこそ、「虚構」であることをきちんと守って、制作陣が傷つけあうことなく、安全にリアルさを目指さなければいけない。非常識を繰り広げなければいけない。

 それが虚構の醍醐味だと考えています。

 

 

 そしてこの、安全、ということに関しては、制作過程のみならず、観劇に際しても同様だと思っています。

 

 そのため、以下のようなアナウンスを改めてさせていただきます。

 

蒲田行進曲』の作中には暴力的、差別的な表現があります。人を殴り、罵り、足蹴にし、声を荒らげるシーンが出て来ます。

 もちろんそればかりではないんですが、確実に、そういうシーンは出て来ます。

 

 しかしそれらを、今回は無理やりマイルドにするのではなく、なるべくつか作品特有の「極端な非日常」を大事にしながら、そこで生じる大きなドラマや有り得ない心の動きを見せる方向で作品を作りたいと思っています。

(私個人はそうです、座組全体としては公式のアナウンスの通りです)

 

 

 この作品は、速度もスリルも、まさしくジェットコースターのような作品だと思っています。稽古を進めるにつれその感は強まってきました。

 

 ジェットコースターは決められたコースを絶対安全に進むとわかっているからこそ、凄まじい速度やありえない軌道のスリルを楽しめるアトラクションです。

 

 本作の観劇も同様のアトラクションだと思ってはいますが、「極端さ」や「過激さ」が面白さとしてある以上、そこに事故は起きうるのです。

 

 物語に触れたとき、普段は起き得ないような心の動きを楽しんでいたのに、描かれているものがこちら側に飛び出してきて、思いもよらぬ傷つき方をしてしまうということは、しばしば、あります。

 意図的にそのような効果を狙ったものもあるにはありますが、あくまで観客が「虚構」としてそれを容認できる枠を出てほしくはないな、と私は思っています。

 

 そしてそれらは事前に心の準備ができるだけでもずいぶん避けられることではないかと思うのです。

 

 ですので、心の準備ができていないと傷つくこともありますよ、と。

 そういうおそれがあるので不安な方はよくよくお考えになってください、と。

 

 そう案内をかかげることで、あらかじめ避けられる事故を防ぎたい、という思いからの上記の案内です。

 

 ですから少なくともこの長ったらしい私の文章を読んでくださっている人だけでも(いますか? もう少しで終わります)、事前に「暴力的な表現」や「差別的な表現」があるぞ、ということを踏まえて、観るとか観ないとか、そもそもそんな表現の有無にかかわらず観ないよとか、決めていただけたらと思っています。

 

 そして「気になるけど……不安もある」という方は、今回は控えてもらっても良いのです。

 

 もちろん我々はなるべく傷つかないように殴り合い、蹴り合い、罵倒しあい、安全を取れるように練習してそれらに挑みますが、激しいボディコンタクトや怒鳴り声を目の当たりにして何らかの記憶がフラッシュバックしてしまったり、現在の精神状態では受け入れられないという方も。

 体調が悪い時にジェットコースターに乗る人はいないのと同じように、今回は控える、という選択肢はあってしかるべきなのです。

 大事なのは自分の調子のほうです。

 

 

 だらだら長ったらしく書き連ねましたが、上記のことを踏まえたうえで、私はつかさんが描こうとした「極端な非日常」を、ちゃんと虚構としてやり切りたいと思っています。

 きちんと、虚構をやり遂げたいと思っています。

 

 奇しくもそれは、この『蒲田行進曲』のテーマとつながる思想でもあると思うのです。

 

 現実ではない、虚構の世界。

 だからこそ、なんでもできる。

 だからこそ、奇跡が起きる。

 虚構だからこそ、不幸も試練もひっくるめてカーテンコールで笑顔が見せられる。

 

 

 私はそう思っています。

 そしてそういうことを描いている作品だと思っています。『蒲田行進曲』は。

 

 どうかどうか、それを踏まえて、それでも観たいよと言ってくださったなら、こんなに幸せなことはありません。

 

 

 ……というわけで公演詳細です。

 ご予約はこちらから

 

――――――――
演劇ユニットクロジカ旗揚げ公演
 
 
原作 つかこうへい
構成・演出 フジタタイセイ(劇団肋骨蜜柑同好会)
 
 
◎公演詳細ページ◎
 
 
◎公演スケジュール◎
2022年12月8日(木)〜12月11日(日)
*古屋敷は【古】の回(8日昼・夜、11日昼、12夜)しか出演いたしません。
 
8日(木) 14時 【古】 / 19時【 古】
 
9日(金) 14時 / 19時
 
10日(土) 13時【古】 / 19時
 
11日(日) 12時 / 17時 【古】
 
※本公演は銀四郎役のみダブルキャストとなっております。出演回をよくご確認の上ご予約ください。
 
※【演出の都合上、途中入場ができません】お越しの際は十分にご注意の上お越しいただきますようお願い申し上げます。
 
※本作には暴力的な言動を含むシーンが存在します。あらかじめご承知おきの上のご観劇ください。
 
※受付開始・開場は開演の40分前となります
 
※上演時間は120分を予定(途中休憩はございません)
 
 
◎チケット料金◎
 
4500円(全席自由席)
(RT割 500円引き→詳しくは詳細ページをご確認ください)
 
18歳以下  1000円 
(要年齢確認:こちらのチケットのみ 直接kurojika2022@gmail.comまでご連絡ください)
 
 
◎会場◎
 
〒114-0002 東京都北区王子1-14-4 地下1F
JR京浜東北線は「北口」、東京メトロ南北線は「4番出口」から北本通りを直進。
まいばすけっと 王子北本通り店」の地下です。
 
 
◎あらすじ◎
 
東映京都撮影所、そこは愛憎渦巻くキネマの天地。
破天荒なスター・銀四郎は無二の相棒である大部屋俳優・ヤスに、銀四郎の子供を身籠った恋人・小夏を無理やり押し付け結婚を迫る。
滅茶苦茶な申し出にもかかわらず、銀四郎を崇拝するヤスはそれを受け入れ、小夏と子供との新生活のために奔走する。
一方小夏は、無理やりまとめられたヤスとの生活に当初は拒否を示していたものの、献身的なヤスの行動に、段々と心からヤスを愛するようになっていく。
すべてが丸くおさまるように思えた矢先……ヤスの一世一代の見せ場にして命懸けのアクション「階段落ち」の撮影日が近づいてくるのだった。
 
 
◎キャスト◎
 
銀四郎【ダブルキャスト
・・・海田 眞佑(劇団ウミダ) / 古屋敷 悠
ヤス
・・・吉田 覚(演劇ユニットクロジカ)
小夏
・・・池内 理紗(演劇ユニットクロジカ)
高橋 まゆ狐
山下 雷舞
シマザキタツヒコ
ヒガシナオキ
長門 佳歩
末安 陸 (guizillen)
江越 暉
大木 菜摘
志賀 耕太郎
芝原 れいち (劇団イン・ノート)
中川 大喜 (劇団イン・ノート)
――――――――

ひとりの太字の作り方5(波)

  わたくし、ひとりでこんなことをやっておりました。

 

youtu.be

 

www.youtube.com

 

 

 本ブログでは、そんな異形の配信演劇の作り方を解説しておりまして、前回まではこちらをご覧いただき……。

 

 

 

fullyashiki.hatenablog.com

 

 

 

 さて、今回からは役を切り替えるべく、録音をしていきます。

 

 基本的に今後の稽古の流れは、

 

 稽古→録音・撮影→役チェンジ

 稽古→録音・撮影→役チェンジ→……。

 

 という流れになるんですが、その第一歩目ですね。

 

 

【稽古二段階目】 

 

所要期間:一回で録音できれば、一回。

使用機材:スマートフォン(音声再生用)もしくはノートPC(音声再生用)※ノートPCを強く推奨します! 理由は後述! 録音用ICレコーダー 、イヤフォン(できればワイヤレスでなおかつ片耳使いできるものが望ましい)

 

 急に使う機材が増えましたね!

 

 今までは、イヤフォンで聴いている音声を聞きながら「ズレてもいいから」芝居を続ける、という手法で片方の役の稽古用音声を作ってきましたが、これからはなるべく「ズレないように」演技をします。

 

 前回までの調整(地獄)の日々で相手役の音声はだいぶ自分の演技に合わせた間尺に変わっているはずなので……なるべくそこに合わせるように。

 

 なにしろ、そうしないと尺がどんどん合わなくなっていってきりがないですし、また個人的にはここで生じる「不自由さ」が作品づくりに必要な気がしてもいるのです。

 

 ひとりの稽古、というのは、当然演技のチェックもひとりでします。

 全部ひとりです。

 なので、気を抜くと自分のやりたいようにしかやらなくなってきてしまう……おそれがあります。

 

 相手役の音声の間尺にあわせる、という枷が一つあることで、そんな自分だけの感性に引きずられそうなところにひとつ変化が生じる…………気がしています。

 まあ気がするだけなんですけど。

 

 そんなわけで、今後も音声相手に稽古をしてその後に音声収録→もう片方の役の稽古という流れは発生するんですが、この稽古用の音声を収録する際はなるべくズレが無いように気を付けて収録してみて下さい。

 

 

 さて、今度の音声収録では、なるべく相手の台詞を食わない台詞終わりに相手の台詞が来るように着地をする、という工夫が必要になってきます。

 

 

 こんなのは普通の稽古場であれば、言わずもがな相手の台詞を聞いて、相手が言いやすいようなペースを心がけて、というコミュニケーションが生じることでうまくいっているはずなんですが、今回に限ってはそれは無理です。

 ひとりだから。

 

 じゃあどうするのか。

 

 「波」ですよ。

 

 よくわかんないですよね。

 

 実際の収録風景をご覧いただいた方が早い気がするので、ハイ、ドン。

 

左:古屋敷悠      右:古屋敷悠

 

 これは作中で、激論を交わしているワンシーンなのですが、編集する前、実際の収録風景はこんな感じです。

 

教員役の収録風景、当然ながらひとり

 

生徒役の収録風景、やっぱりひとり

 

 

 お分かりかと思いますが、二人とも目の前にPCを置いております(赤いPCは小道具です、生きてるのは黒色の方)この画面で演技中の俳優が何を見ているのかというと…………なんですね。

 

 

 波。

 

波、右から左へと流れていく

 

 です。

 

 

 そう、これが相手役の音声の『波』です。

 

 

 音声データを視覚的なグラフにしたやつで、wavepadではデフォルトの機能です。

 この波が右から左へと次々に流れていくんですが、これを使って台詞のタイミングを合わせます。

 

 具体的には、

 

 台詞をしゃべっていて、そろそろ波が来るぞ(相手の台詞になるぞ)と思ったら、自分の台詞のペースをそこに向けて上げるとか……。

 

 また、相手の台詞と自分の台詞をユニゾンさせたりバッティングさせたかったら、わざとその波に自分の台詞を合わせるとか……。

 

 特に長台詞に関してはかなりこの波の存在が重要でして。

 台詞のペースが少し遅かったりすると最後の台詞を待たずに相手の台詞が始まったり、逆に早すぎると無音が続いたり、ということになるので、この波を見ながらうまい具合に台詞のペースを発話しながら調整していきます。

 

 流れていく波を見ながら、相手の波と波の隙間に自分の台詞がうまくはまるようにしゃべっていく……公開当初私はこれを音ゲーやってるみたいな作品」と言いましたが、まさしくビートマニア』とか『太鼓の達人』とほぼ一緒なわけですよ。

 

 

 「そんなキチガイじみた行動、私には無理……」と絶望しかけたみなさん! 大丈夫!

 

 

 もちろん、耳で音声は聞いてます!

 

 それでも合わせられない部分を波で補う、ということです。

 

 稽古音声の録音段階ではまだ普通のイヤホンでもいいんですが、私は本番収録環境のことも考えて、ワイヤレスイヤホンを片耳だけつけてそれで稽古音声を聞いていました。

 

 両耳だと自分の声が聞きづらいのでめちゃくちゃやりにくくて……片耳。

 でも片耳ですら音の感じが普段と違ってやりにくかったので、早いうちから慣れていくことをおすすめします。

 

 そんなわけで、片耳イヤホンと波を駆使して、稽古は進んでいきます……。

 

 …………すでに演劇の稽古らしさは無くなってきてますね。

 

 …………なにやってるんだろう、これ、と感じ始めていますね。

 

 それが(なぜか)ひとりで二人芝居をやるということなんですよ。

 

 

 というわけで、片耳イヤホンと、波の映像を駆使して、相手役の音声に合わせて演じ、自分の役の音声だけを録音していきます……。

 

 そしてそろそろ、声だけではなく動きもつけていくことになるわけですが……。

 

 また次の回で!

 

 

ひとりの太字の作り方4(果て無き微調整)

 どうもどうも、お久しぶりです。

 

もうお久しぶりすぎて忘れちまってると思うんですがね。

 

 こういうことをやってたんすよ、ぼかあ。

 

 

youtu.be

 

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 というわけで、『ひとりの太字』再公開ということになりました。

 

 快諾してくださった冨坂さんには足を向けて寝られねえよ……。

 

 もうお前、それ、お前何年前の、それをいつまでお前、おい、こすり続けるんだというご意見はまあございますでしょうが……結局途中で止まってしまったこの作り方の解説も、きちんと終わらせなきゃいけないなとは思っていたし……これを機会に改めてご覧になってくださったら嬉しいっすよ。

 そしてあわよくばバズりたいっすよ。生まれてから一度ぐらいバズってみたい夜がありますよ。なんかそんなようなことは中島みゆきも歌ってましたよ……。

 

 

 というわけで、作り方の解説、続きです。本当にお待たせしました。

 

 前回はこちらをご参照いただき……。

 

fullyashiki.hatenablog.com

 

 

 さて、ようやっと目の前に片方の役の音声だけが入ったデータができあがりました。

 

 簡単に言っちまえば、これからはこの音声に合わせてもう片方の役をひたすら稽古していく×2役分、という、ただそれだけなんですが……。

 

 

 馬鹿め!(当時の俺が) ここからが地獄だ!

 

 

 

【稽古一段階目】 間の調整

 

所要期間:ひとつの役につき1週間、交代して1週間、の繰り返し……。

使用機材:スマートフォン(再生、編集用)もしくはノートPC(再生、編集用) 

 

 セリフ音声にあわせて稽古をしていくうちに、その時演じている役の演技は変わっていきます。

 スピードや濃淡や強弱や……様々な解釈、感情、アプローチを試していくのが稽古なのですが……残念なことに録音音声はそれに合わせて変わってはくれないのです。

 

 これが通常の稽古であれば、例えば台詞の調子を速くしたら、相手もそれを受けてペースを上げるとか、それに負けて逆に途切れがちになるとか……勝手にいろいろ変化してくれるもんなんですが、今回はひとりなんでそれは起きないです。

 

 どうするか?

 

 自分で調整するしかないんです。

 

 

 例えば、

 

「どうしろっていうんですか!」

 

というセリフがあるとして。

それを色々試行錯誤して

 

「……どうしろっていうんですかあっ!」

 

という発声にした場合、はみ出した分の「……」と「あっ」の分だけ、相手役の台詞の始まりを遅くします。

 

 

もちろん常に遅くするばかりではなく。

相手の台詞が自分の台詞の途中で始まってしまう状態(いわゆる、台詞を「食う」という状態)の場合は相手の台詞を遅く……逆に相手の台詞までに不自然に無音が続く場合は、相手の台詞を早くする……というような具合ですね。

 

あまりにも間尺が合わない場合はその台詞だけ録りなおしたりもします。

 

こう書くと異常に細かい作業に思えるかもしれませんが、とは言っても、ある程度演技経験のある方なら稽古していて自然に「ひと間はやいな」「ふた間遅いな」という感触はわかると思うので、ある程度はやや機械的というか、その感触通りにセリフ音声を編集していくだけ、という部分もあります。

 

ちなみにこれは僕の体感ではあるんですがひと間=0.5秒と考えると、大体うまくいきました。だからなんなんだよ、って発見ではあるんですが、まあ、発見でした。ひと間は0.5秒。参考にしてみて下さい。

 

 

ちなみにこれらの編集、最初の頃はアプリ版のWavepadをダウンロードしておいてスマホで音声を流しながら稽古、その場で編集→再生とやっていたんですが、普通にノートPCを持って行った方が画面でかいし編集しやすいということに気が付き、途中からノートPCでのみセリフ音声は扱うようになりました。

 

 

この時の、音声をノートPCで編集する、という作業がのちのちこの作品づくりを決定的に狂ったものへと変えていく一因となるのですが、それはまた別のお話……。

 

 

とにかくこのように、ひたすら台詞の間尺を自分の演技に合わせて変えていき、それを踏まえて演技を変える……というループをひたすら繰り返します。

 

演技を変えると間尺が変わる、間尺が変わると演技が変わる、という……演劇三途の川のごとし……つんでは崩し、崩してはつみ、を繰り返し「もう、ちょっと、いい加減頭を冷やしたい……」「ある程度演技が固まったな」となった頃合いで、もう片方の役を稽古するべく台詞音声を録音し、もう片方の役の稽古を始めます。

 

 

まあでもこのあと、もう片方の役の演技を試行錯誤していくうちに、結局また全部の台詞の間尺が変わり、

 

「あああああああああっああああ!!!!あああああああああ!!!あああああああ!!!?????」

 

となるわけなんですけどね。

 

 そう、普通の稽古場なら、相手役と自分とで臨機応変に数回の稽古で変化するすべてを、いちいち変えていかなければいけない…………恐ろしいほどの手間なんすよ。

 

 

 これが、本来二人でやる芝居を(なぜか)ひとりでやるということなんですよ……。

 

 ともかく、ある程度固まったら録音しちゃいます。

 

 ある程度で大丈夫です。

 

 この段階に限らず、ひとりでの稽古では早い段階での完璧を目指しちゃいけません。きりがなくなるからです。

 本来、他人と稽古していたら否が応にも自分の完璧さやペースは崩されるんですが、一人の稽古場ではそれは起きないので、完璧さを目指すとドツボにハマります

 

 最終版の収録の段階までは、一旦その完璧さは置いておいて……次に向かいましょう。

 

 というわけで、録音です。

五月雨て、晩夏

 文字に書いて使いたいビジネス用語3年連続第一位は間違いなく「五月雨」なんですが。

 

 五月雨式に、とか、五月雨で、とか、無機質で淀んだビジネスメールの中に急に季語が入ってくるの、まじで一服の清涼剤って感じで好きです。

 

 こんな風にもっとどんどんビジネスシーンにジャパニーズ季語を取り入れていくべきなんすよ。

 

 社内チャットで絵文字はありかどうかとか、承知しましたとかしこまりましたの使用シーンの違いとかそんなことはクソどうでもいいんすよ。

 

 秋の日のつるべ落としとか夕焼け小焼けの赤とんぼとか一雨ごとの暖かさとか夜陰に乗じてとか目方で男が決まるならとか、そういう、そういうね。そういう風情をね、もっと、この無機質で無感情なクソ労働社会に投げ込んでね、いきたいすよね。ほほえみの爆弾をね、投げ入れてね、いきたいっすよね。

 

 ア・リ・ガ・ト・ゴ・ザ・イ―……マス!

 

 っすよね。